戸建分譲の歴史 | 1951年の統計開始以来の戸建分譲の着工戸数は656万戸。

 戸建分譲の始まりは阪急電鉄の前身の箕面有馬鉄道の路線開発からといえます。

それが1910年ですから、戸建分譲の歴史は100年を超えていると言えます。

 ただ、正式な統計数字となると、新設住宅着工統計が始まる1951年を待たなければいけません。

1950年に建築基準法が制定されて、それを受けて新設住宅着工統計が開始されて戸建分譲が数字的に裏づけられました。

戸建分譲の歴史・1951年からのトピックス着工戸数と.jpg1951年の住宅統計開始の時の戸建分譲の着工戸数は4976戸でした。

 それが1969年になると、11万5000戸と10万戸を超えるようになりました。

 この1969年が戸建分譲元年と言ってよくて、ここから現在の戸建分譲が始まります。

 最初は鉄道沿線の開発が多かったのですが、総合開発会社が大型開発を始めたのと、都心型の戸建分譲も生まれてきました。

 それにより1972年から18万戸に増えて、鉄道会社と住宅メーカーと総合開発会社に加えて、街場の工務店や不動産会社が戸建分譲を始めるようになりました。

 そのためにこの時期は年20万戸以上着工されていて、ある意味では「粗製乱造」の時期であり、「欠陥住宅」と言う言葉が生まれてきた時期です。

 それが1981年の建築基準法の改正により、耐震強化がされて「新耐震基準」となり品質の向上が図れました。

 これにより「欠陥住宅」は減ったために住宅着工は12万戸にまで減りました。

 そして「バブル」がやってきます。このころに有名な「千葉リーヒルズ」が10億円という戸建分譲史上最高の価格で売られました。

 そしてバブルか崩壊して、土地の価格が下がるにつれて、戸建分譲はパワービルダーの時代に入り、価格が低下してきました。

 その背景には「プレカット材」の導入が欠かせません。

これにより、大工が現場で木材を加工する手間が省けて、時間の短縮と共にコストの短縮もでき、なにより木材加工精度が飛躍的に向上しました。ミリ以下の誤差での木材加工なために、建物の耐震性も高まるともに、施工のしやすさが高まり、熟練大工でなくても建築ができるようになりました。それがパワービルダーによる低コスト住宅が広まった要因です。

 さらに、システムキッチンやシステムバスの工場生産の拡大により建物の性能向上と商品力も向上しました。

 これら部資材の工業生産による、品質向上とコストの低下が、現在の戸建分譲を形成しているといえます。

 その意味では、バブル崩壊後の1990年代後半が「戸建分譲の第二変革期」であったと言えます。

ケイアイスター不動産も創業23年になりますが、戸建分譲業界でこのころの創業が多いはこのためです。

 そして2000年に性能表示制度の導入があり、その性能・機能の「見える化」が行われました。ただ低層木造住宅においては、「四号特例」と言って、構造計算が免除されています。ですので、まだ性能表示の浸透は少ないといえます。

 そもそもは阪神大震災によって耐震性の向上が狙いでしたが、東日本大震災により地盤対策も必要となってきました。

 さらに時代の要請である「省絵ネ」性の向上も義務付けられています。今年4月からは「低炭素法」対応住宅とするようになってきています。

 つまり今の戸建分譲には、耐震性が求められ、地盤対策が求められ、省エネ性も求められ、東京などは耐火性も求められています。

 この1951年からの62年の戸建分譲の歴史においての着工戸数は656万戸となっています。方や分譲マンションは637万戸となっていて、戸建分譲のほうが住宅着工戸数は多いです。

 

このブログ記事について

このページは、戸建マイスター 松沢 博が2013年5月 1日 14:15に書いたブログ記事です。

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